一般の名もなき人たちが、SNSやブログという電子媒体を使って、これほどたくさん文章を書いている時代って、今までなかったように思います。
かくいうわたしも、毎日このブログやTwitterを通して文章を書いている一人。
「人はなぜ文章を書くのか」
おそらく考えあぐねても、これという明確な答えには辿り着かないであろう、哲学的なテーマを思いついてしまいました。
なぜ、こんなことを考えはじめたかというと、わたし自身、誰にも頼まれていないのに、細かく記録をつけるかのように、ひたすら文章を書くという癖(へき)みたいなものを感じるから。
考えたら、これまでずっと文章を書いているのです。
10年以上前から、SNSサービスの日記を記録をつけるように、自分でもあきれるほど、誰得にもならない記事を書いていました。
なぜ文章を書くのかって、承認欲求のためと称するのは簡単ですが、すこし違うのです。
そして、ほとんど読まれていないのに書くというわけの分からなさ。
良くいう情報発信のためというのも合ってはいるけど、どこかしっくりきません。(もちろん有益な情報を書くよう心がけています)
この前、とある記事を4時間くらいかけて書いていて、ふと文字数を見ると4000字をゆうに超えていて、でもまだまだ書き足りなくて詰め込みたい衝動にかられました。
でも、ちょっとこれは読む手側が文字数多すぎてしんどいのではないかと考え、できるだけ文章を取捨選択して、省いていったのです。
そして、「人はなぜ文章を書くのだろう」と疲れた頭でいろいろ考えてしまいました。
一番しっくりくるのは、自分の脳内の整理のために書いているということ。
◯◯をしたので、その記録を脳内整理をしながら書き残したいという衝動。
ならば、紙媒体に書いて、ネット公開にしなさんなというのは置いておいて。
文章を書かずにいられないという、中から湧き上がるものが、人にはあるのかなと思ったのです。
そして、その衝動の強さは人それぞれで、たいして強くない人は書くことに興味関心がなかったりするのではないかと。
そういう人たちからしたら、「良くそんなに書くことがあるね」の反応になるのでしょう。
自分でもあきれつつ、これからも文章を書いていきたいなと思っています。