korentoの日々の手仕事ノート

手仕事のたのしみを綴っていきます。日常で感じることなども大切に。

日記文学とブログについて考えてみた

f:id:korento:20191113225832p:plain

 日記文学として有名な【富士日記】を、つい最近読んでいました。

 

 ↓その感想はこちら

www.koreiton.com

 

 この【富士日記】を読んで、日記文学って、「今でいうブログのようなものかもしれないな」と思ったのです。

とういか、内容はまさしく現代のネット上にあふれる雑記ブログではないかと。日々、体験したことや感じたことなどを自分の言葉で自由に書き綴る雑記ブログ。

 わたしは、この雑記ブログを読むのがものすごく好きなのです。そして、お気に入りの雑記ブログがいくつかあって、日々の更新を楽しみにしています。毎日更新スタイルのブログは「あっ、更新されたかな」と読みに行ったり、不定期更新スタイルのブログは更新されると「わぁ、更新された!」といいものに出会った的な喜びに浸りながら読んでいます。そう、雑記ブログマニアのように読んでいるのです。このはてなブログ以外にもお気に入りの雑記ブログがあって、ブックマークして読んでいたり。雑記ブログを読む楽しさって何だろうと考えると、同じような境遇の人が書いていることに共感するというのとは、違うなと思います。

他の人がどんな体験をして、どんなふうに感じたりしているのかを、雑記ブログを読むことで追体験できる楽しさというのが大きいかな。単純に「こんな世界があるのか」と発見するのが楽しいのです。

 日記文学というものについて、思いをめぐらしていると、なにもつい最近の近現代に書かれてきたものではないことに改めて気づきました。古くは平安時代に紀貫之が書いた【土佐日記】までさかのぼることができます。

人はこんなにも大昔から、日常で体験したことや感じたことを文章にして書き残していたのかと思うのです。平安時代から1000年以上経っても、人はまだ日常の機微を書いているという不思議さ。

 そして、わたし自身も思えばずっと書いているような気がします。

小学生の頃の『せんせい、あのね』作文にはじまり、夏休みの絵日記、そして女子児童どうしの交換日記。こども時分でも、本当に良く書いていました。

大人になっても、誰に頼まれたわけでもないのに、ひたすら記録をつけるかのようにネット上のSNSサービスを使って日記を書いていたり。(ほとんど誰にも読まれないのに)

 来年2020年には、次世代の移動通信方式である5Gサービスがはじまると言われています。4Gの20倍の通信速度が見込めることから、動画コンテンツが今後よりもっと主流になっていくのではないかと言われています。

つまり、ブログなど文章メインのコンテンツは廃れていく可能性があると。確かに通信速度が速くなると、動画がサクサク観られるという利便性は大きいとは思うのですが、ブログがなくなることはないような気がしています。

5Gがはじまったからといって、みんながみんな動画を撮って「YouTubeを配信します!」というのもどこか違うし、人がこれほど長い間文章を書き残してきたのに、急に文章を書くことをやめることはないだろうと思うからです。

 1000年以上もの間、人は随筆や日記をたくさん書き残してきたのに、5Gがはじまったからといって動画コンテンツに走る人ばかりではないはずという希望的観測の話でした。